
板花 利美 (いたはな としみ、1977年 高校30回卒)
1959年生まれ 南安曇郡堀金村(現安曇野市堀金)出身
この度、栁澤暁前会長より会長職を引き継ぐことになりました板花利美です。高校時代は
110mハードルと400mハードルを専門としておりました。
私と栁澤先輩との間は5年もあり、その間に素晴らしい先輩の方々も数多くいらっしゃる中
自分のような若輩者に伝統あるこの縣陵飛龍会の会長職が務まるのか甚だ不安ではありますが、
次の方に引き継ぐまでは頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
わたしと陸上競技の出会いは中学校時代でした。もともと野球部に所属していたところ、
郡陸の選手に抜擢。ハードルは2年生から、1年時は走り高跳びの選手でした。また体育館
が建て替えでバスケ部やバレー部がなかったこともあり、長身のため、もしそれらの部活が
あったら入部していたであろう。そうなっていれば、高校時代は陸上部に入部しなかった可
能性が高買ったと思います。
思い起こしてみれば、陸上部の門をたたくことになったのは先輩の熱心な勧誘からでした。
根っからの運動好きの私は運動部には入ろうとは決めていましたが、明確には決めていません
でした。また、入学当時の私は、堀金の自宅からの自転車→電車→徒歩の通学に慣れるのにも
精一杯、田舎の村とは異なる松本という町に対するカルチャーショックもあり、まだそれをじ
っくり考える余裕もありませんでした。しかし、毎日昼休みになると一つ上の先輩方が入れ替
わり立ち替わり勧誘に訪れ「板花君、部活はもう決めた?」「陸上部は楽しいよ。先輩もいい
人ばかりだよ。ぜひ入りなよ。」と言葉をかけてくれました。他にも理由はありましたが、
先輩方からの勧誘が決断の大きな理由となりました。
縣陵陸上部では、当時としては珍しいそれほど厳しい上下関係もなく、素晴らしい先輩方や
楽しい仲間に恵まれ、練習に取り組むことができました。また、顧問の高野先生には熱く指導
していただき競技力を向上させることができました。当時、関わり合った皆様には感謝の言葉
しかありません。改めてこの紙面をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。
当時、練習に使用する物品やユニフォーム購入などに対して、また数々の大会出場諸経費に
対しても飛龍会の皆様からご援助いただいていることは、創始者である顧問の高野先生から
伺っていました。また、上位の大会に進出すればするほど大きなご支援をいただいていることを
私たち選手も理解していました。
陸上競技に限らず現在のスポーツ選手は、周りへの感謝の言葉を必ず口にします。両親や家族
友人、先輩や後輩、そして周りの物的な環境に及ぶまで。本当に素晴らしい姿、態度だと感心
します。そんな中ですが、私たち縣陵陸上部に身を置いた者は、感謝する対象の中にぜひこの
飛龍会も入れてほしいと思います。
現役の選手時代は一生懸命に競技に打ち込むことがその恩に報いることになりましたが、卒業
後はそういうわけにはいきません。ですから、今度は後輩に援助することでお返ししていただけ
たらと思います。その一番の近道は会費を納入することです。それぞれご事情がありますでしょ
うから絶対とは申し上げませんが、ぜひ会費の納入にご協力ください。多くの皆様の会費納入が
母校縣陵陸上部の活躍にもつながるはずです。よろしくお願いいたします。
高校時代の主な成績 110mJH 北信越高校選手権大会 5位 インターハイ出場
学生時代の主な成績 北日本インカレ 110mH 1位(3回)
440mH 3位
マスターズの主な成績 全日本マスターズ陸上 M40 110mH 1位
指導者歴 陸上部顧問11年(上諏訪中学5年、穂高西中6年)
陸上部のない学校16年(女子バレー部、女子バスケット部)
県陸協 ジュニア部コーチ 1991年から2009年
全日本中学生陸上競技大会 長野大会 実行委員長
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